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もはや教育の範疇を超え、真に世に問う芸術作品。こんな美しい演奏を作り上げて下さった渡部先生に改めて敬意を表したい。そして、この時の中学生たちは皆、どこで何をしているのだろう?そんなことを想像する。そんな出雲一中は今年も凄まじい演奏で県代表となった。あれならば、全国大会間違いないだろう。どうしてこんなことを可能にするのだろう…出雲市民として、誇りに思います。
この年の島根県の吹奏楽コンクール県大会は、大田市民会館でありました。私は当時高校生で、前日に自分たちの演奏を終え、次の日が中学の部だったので、会場で出演団体ごとに椅子と譜面台を並べる手伝いをしました。出雲一中の演奏はいつも県大会の会場内で聞いていましたが、この時はナント舞台袖で聞きました。冒頭のPPのところは朝霧が見えるようでしたし、何より音圧を肌で感じ度肝を抜かれました。確か、トッカータをやった年に出雲一中の近所の人から「一中はパイプオルガンを買ったのか?」と問い合わせた人がいたという、うわさがあります。このダフクロは歴史に残る名演。吹奏楽界の宝物だと思います。
このようなフランスの雰囲気のオーケストラのサウンドに近いものを吹奏楽で表現する演奏を聴いたのは,出雲第一の渡部先生が初めてだったので,大変驚きました。当時中学2年生でした。レコードを買い100回以上聴いたと思います!現在いろいろな学校が演奏するようになりましたが,大きな音がする吹奏楽の楽器で,決してがなりたてることなく,節度を持って色を変えながらの演奏は出雲一中が今でも一番ではないかと2022年8月の段階では感じています!あっぱれ!
前例のない中「この曲にしよ〜」と思い立って中学生への指導にあたり、ここまで仕上げてきた指導者のサイコパスみたるや
何度聞いても凄すぎる演奏です。この写真を見て下さい。たった45人のしかも中学生です。目を閉じて聴いていると一流のオーケストラと錯覚する渡部先生の音楽性。まさに吹奏楽コンクールの金字塔ですね。
今の時代とは比べられないけれど、丁寧で胸を打つ表現力で時代を超える感動が得られる演奏ですね!昔の中学生恐るべし!!!!
すごいですねー。RUclipsでも聴けるいい時代。一中は、今年50回目の全国出場です。今年中国代表は、3校出雲です。素晴らしい演奏期待しています。
「ダフクロ」は何回も聴いているけど、一番の違いはこの音の厚み。これ以上の演奏は聴いた事がないです。これで中学生ですからね。伝説ですね。
当時のコンクールの編成は45名まで、という時代の演奏ですので一層の苦労があったものと思われます。渡部氏「厚い音をうめるのには、もう10名くらいのメンバーがほしかった」(『昭和50年代 全日本吹奏楽コンクール名演集』ライナーノーツ)
全日本吹奏楽コンクール初演にして金賞1位。コンクールでの演奏回数が全曲の中で1番多いのでもちろん名演奏も多くあるのですが、このパイオニア的名演の出雲一中と爆発的ブームを産むきっかけとなった86年の埼玉栄の演奏は日本の吹奏楽界を変えるきっかけとなった歴史的名演と言えると思います。この演奏がなければ日本の吹奏楽に於けるダフニスとクロエの人気はなかったのかもしれません。前例のない中この曲を取り上げた渡部修明先生とそれに取り組んだ生徒さんに敬意を称したいです。
中学生の頃、顧問が参考に聞かせてくれたのがこれだったと思います。当時はカセットテープで音質もそれなりだっととは思いますが、一発でこの美しく個性的な素晴らしい曲の虜になりました。今でも大好きです。
全日本吹奏楽コンクール全国初演中学校の部、ハープなし、チェレスタなし恐るべし...
寝る前に聴いてしまいましたが後悔しました。涙が溢れてきています。
課題曲との兼ね合いが難しくタイムオーバーすることが何度もあったそうですがカンティレーナを貫いたのは素晴らしいと思います
ファンタスティック!!とても中学生の演奏とは思えない・・・指揮者と部員に心から敬意を表したい。
4:45からの曲調切り替え上手すぎる……今の高校生吹奏楽部でもこんな上手く行かない……
まさに不朽の名演。 日本のアマチュアバンド史上最高の演奏。
この演奏が、RUclipsで聴けるなんてほんといい時代ですよね。今年も、一中頑張ってください!
今や吹奏楽コンクールではローマの祭りと並ぶ大人気曲ですよね。この曲を初演したのが当時の中学生ということですから驚きです。正しく後世に語り継がれる名演でしょう。しばらくは著作権の関係で演奏されることは少なかったですが、埼玉栄の名演を引き金に爆発的ブームを呼びました。
当時は吹奏楽での演奏は禁止だったんだよね。著作権についてあいまいな部分が多く、1980年代に入ってこの今日を自由曲にして全国代表を勝ち取った高校があったが、自由曲が著作権に触れる、ということで、棄権するか、全国出るなら自由曲を変更するように、との連絡が吹奏楽連盟からあり、辞退した、ということもあった。1980年代前半までは、日本の吹奏楽界では、著作権がないがしろにされてた。ストラヴィンスキーの春の祭典も、吹奏楽での演奏禁止(日本では)なのが、コンクールで演奏したレコードも出てたし、当時は「火の鳥」や「ハーリヤーノシュ」などは、吹奏楽での商業録音(コンクールの演奏をレコードにして売る)というのも禁止だった。ただ、フランスのギャルドの楽譜(デュポン編曲)をレンタルしての演奏は可能だったが、編成が大きい、サクソルン系の楽器も多いため、人数制限のあるコンクール出はいい音がしない。で、レンタルはしたものの、違う楽譜で演奏するのが普通だった。
木管に耳が行きがちな曲ですが中間部、金管が心地よく響きまきした。黎明期の名演として有名でしたが聞けると思いませんでした。アップしてくださった方、奏者さん、指揮の先生ありがとうございます。
凄い。ハープもチェレスタもない。音で勝負している。
まさしく同じ舞台で県大会のコンクールに出てました~45年以上前ですが、この演奏がはじまって10秒後には会場中が朝霧のなかから昇る朝日を見てたと思います。演奏後しばし拍手が出来ない位茫然としてた事、昨日のように覚えています。皆さんのコメント読んで改めて凄い演奏だったんだと確信致しました
同世代です。私の住んでいるところでは,吹奏楽部は中学校に1校あるだけでした。私は当然吹奏楽なるものは知りませんでした。ダフニスとクロエは,埼玉栄高等学校の演奏が強烈に印象に残っているので,その10年前にすでにこんなレベルの高い演奏をしていたのですね。この10年後,出雲市立第一中学校が中国支部大会で代表を逃し,広島県から宇品中学校が全国大会へ出場したのは,衝撃でしたね。その時,初めて中学校の支部大会の演奏を聴きました。
この年、中国大会が広島市であり生の演奏を聞きました。超絶技巧そのもので異次元の演奏だと感じたことを思い出しました。
この年は山王中学校が「スペイン狂詩曲」を演奏していたから吹奏楽でラヴェル演奏のはしりになった年と言えよう
出雲って土地は不思議なとこで声楽家の輩出率が異常 その影響なんでしょうかね?全国に吹奏楽の名門校数々あれど戦後の第二黎明期からずっと名門保ってるのは出雲一中位じゃないのかなあ?
最近また高校生の演奏と聴き比べてみました。やはりこれに勝るものは出てきません。中1の中国大会で生演奏を聴いた記憶がうっすらですが蘇ってきます。同時に自分の先輩たちが涙を飲んだことも、翌年の普門館初出場に繋がったということもどれもが事実だったと思うととても懐かしく思います。それにしても凄まじいの一言ですね。
もしかして総社東の卒業生ですか?!
@@ぽりぷろぴれん-t9f ハイ、そうです。プラハ世代です。
唯一聴きに行った全国大会でした自分と同年代の演奏とは思えませんでした終盤の聴衆の静かに聴いているのにざわめいている?感が忘れられません演奏終了後一瞬間が空いたような感覚のあとの怒号見たいな皆興奮しきった激しい拍手がいまだに耳に残ってます金賞が三校しかなく豊島十中、秋田山王中も金賞でしたが、後にレコード買うまで記憶に残ってないぐらい出雲一中の演奏がすごかったです
後に多くの団体が「ダフニス」を演奏することになる「とば口」となる演奏である。中学生からすれば、猛練習の結果が出ていると思うが、課題曲とのマッチングもポイントとなろう。安易に「即興曲」や「協奏的序曲」を選ばず、「カンティレーナ」で勝負したのが吉とでた印象がする。「メインストリートで」はここの学校のカラーではありませんしね(その証拠に74年は「高度~」ではなく、「シンフォニア」、75年は「未来への展開」ではなく、「小前奏曲」を選んでいた)。
凄すぎるただこの一言しか言えん
最近の全国で演奏されるものも、それなりに良いねんけど 何ちゅうか甲子園と一緒 プロの真似なんかより一生懸命きちんとやる姿が この演奏に出てんねんな。それがいい。
鳥肌がたった。この演奏を聴けて良かったです。アップしてくれた方ありがとうございました。
言わずと知れた歴史的名演ですが、こうして改めて聴くとユーフォが何気に良い仕事をしているのと編曲が鬼畜なのがわかりますね(笑)
この時代の出雲一中のユーフォは皆、凄いんですよね他の年の演奏も聴いて頂けたらと思いますよ
大げさではなく、奇跡的な名演と言えるのではないでしょうか。この頃は45人までの編成で、使用楽器も今では小学生でも使用しないレベルの楽器だったと想像できます。この当時の他の団体を聴いてみても、大学・職場・一般部門の金賞団体ですら、ピッチが甘かったり、技術的に荒削りであったりと、今の時代に置き換えたときには地区予選も突破できるレベルではありませんでしたから、この演奏は理解を超えてますね。
yuji. o 他の演奏と聞き比べて一番の違いは、やはり、丁寧さ、一音一音に込める情念のような気がします。コンクールの賞取りではなくて、指導者の良い音楽を創ろうという想いに子供たちが必死でついて行っていた時代の賜物だと思います。それにしても凄まじい練習だったんだろうって想像を超えています。
素晴らし演奏です。この会場は神奈川県民ホールですか?
やなやな そうですね。当時はまだ全国大会の使用ホールが普門館に決まってなかったので、この年は神奈川県民ホールに決まった年なのだと思います。それにしても、県民ホールで全国が行われていたとは...(横浜の吹奏楽部所属なので、地区大会で神奈川県民ホールを使います)
今や数多あるダフニスとクロエの上手な演奏がある中、元祖であるこの演奏が特に名演だと思うのはピッコロの力じゃないかなと思ったりします。他の演奏でこれほど小気味良く要所要所でピッピピッピと締めてくれる演奏ってあります??。最後の音までが決まっている!。
ピッコロの方は、アンコン全国常連の、「アンサンブル・アットホーム」で今、トップを吹いていらっしゃり、90年代後半に全国大会で名演を多数刻んだ団体の顧問の奥様です。自身も顧問として管楽の全日本を経験されています。今は松江市の中学校の顧問をされていますね。ちなみに実兄?様は日本を代表する声楽家でもいらっしゃいます。
夜明けのソロもズバ抜けていますよね、こんなに情緒的なソロは他にありません。
自分が全国に出て客席から聴きましたが、ピッコロだけで無くフルートもとても良く聴こえ震えました❣️
ハモデレもチューナーも無いこの時代にこれだけやれるのは昔の人達がいかに凄かったか、、、尊敬しちゃいます🙏楽譜も手書き写しだったのでは⁉️
手書き楽譜でした。
@@celijoao こんにちは。石井弘一の息子 次男の奏成です。生前は父が大変お世話になりました。この演奏も父によく聴かせてもらいました。本日は父の命日。家でゆっくり聴かせてもらいます。
@@りーかな-c7w 今日は。1年は早いですね。幸せなことにいまだにこの演奏がコンクールの歴史上最高の名演と言ってくださる専門家の方がいらっしゃいます。特にあなたのお父さんのプレイは空前絶後のすばらしいものです。時々思い出して聴いてあげてください。お母さんによろしくお伝えください。
渡部修明先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
俺はトロンボーンだがこの演奏には心からチューバの2人に敬意を表する低音なくしてこの仕上がり無しm(_ _)m
40年も昔‥‥40年前の楽器で‥凄い(◎_◎;)
ティンパニが古いタイプですね(チューニングを手絞めで行うやつ)
神奈川県民ホールが全国で使われている…!2025年3月末で休館になってしまうので残念です
広島での中国大会で拝聴しました。母校も同大会出場でしたが、先生がレベル違いすぎるとの後日談を聞きました。
おばさんが高校生の頃、ブラスバンドに入っていて、中国大会が広島であったから山口県に住んでたおばさん見に行きましたよ。その頃のだったから見つけれてよかった。
おそらく練習量も内容も今とは桁違いだったんだろうなと想像にかたくない。30年前この時代に学生だった顧問の指導を思い出すとそういうことなんだろうなと。時代とともにゆるくなり、私は小学生でしたが、やり過ぎだ!という保護者の声でどんどん練習量が減り、先生も寂しそうで私達もつまらなかったなぁ。。と昔を思い出してしまいました😅こんなサウンドの中に入れたら幸せだろうなぁ。。
巧すぎてタイホされるレベル。全世界的にも、中学生の年頃で、こんなレベルの演奏、出来るところ多分ない…いや確実にない。
他の方もコメントされていますが ユーホニュームの音にドキッとさせられるところがありますね
確か編曲したのは後に指揮者となる錦織先生でしたか。
聴け!悔しいが。
県大会の演奏を聴きました。全員の踊りに入る前のカットが全国大会と違っていたような・・・。
すごいな。この翌年から普門館だな。
ご冥福をお祈り申し上げます。
渡部先生...
ウマ過ぎるんだでば!
この頃、中学生でこの演奏ができるというのは、本当に片寄先生の指導の素晴らしさなのですね。今聴いても全く色褪せない演奏です!
片寄先生ではなく、渡部先生の時代のようです(概要欄に書いてあります)
みんないいコメントばっかしてるけどそんなに上手いか?w
うまいですよ。
もはや教育の範疇を超え、真に世に問う芸術作品。こんな美しい演奏を作り上げて下さった渡部先生に改めて敬意を表したい。そして、この時の中学生たちは皆、どこで何をしているのだろう?そんなことを想像する。
そんな出雲一中は今年も凄まじい演奏で県代表となった。あれならば、全国大会間違いないだろう。どうしてこんなことを可能にするのだろう…
出雲市民として、誇りに思います。
この年の島根県の吹奏楽コンクール県大会は、大田市民会館でありました。私は当時高校生で、前日に自分たちの演奏を終え、次の日が中学の部だったので、会場で出演団体ごとに椅子と譜面台を並べる手伝いをしました。出雲一中の演奏はいつも県大会の会場内で聞いていましたが、この時はナント舞台袖で聞きました。冒頭のPPのところは朝霧が見えるようでしたし、何より音圧を肌で感じ度肝を抜かれました。確か、トッカータをやった年に出雲一中の近所の人から「一中はパイプオルガンを買ったのか?」と問い合わせた人がいたという、うわさがあります。このダフクロは歴史に残る名演。吹奏楽界の宝物だと思います。
このようなフランスの雰囲気のオーケストラのサウンドに近いものを吹奏楽で表現する演奏を聴いたのは,出雲第一の渡部先生が初めてだったので,大変驚きました。当時中学2年生でした。レコードを買い100回以上聴いたと思います!現在いろいろな学校が演奏するようになりましたが,大きな音がする吹奏楽の楽器で,決してがなりたてることなく,節度を持って色を変えながらの演奏は出雲一中が今でも一番ではないかと2022年8月の段階では感じています!あっぱれ!
前例のない中「この曲にしよ〜」と思い立って中学生への指導にあたり、ここまで仕上げてきた指導者のサイコパスみたるや
何度聞いても凄すぎる演奏です。
この写真を見て下さい。
たった45人のしかも中学生です。
目を閉じて聴いていると一流のオーケストラと錯覚する渡部先生の音楽性。
まさに吹奏楽コンクールの金字塔ですね。
今の時代とは比べられないけれど、丁寧で胸を打つ表現力で時代を超える感動が得られる演奏ですね!
昔の中学生恐るべし!!!!
すごいですねー。
RUclipsでも聴けるいい時代。
一中は、今年50回目の全国出場です。
今年中国代表は、3校出雲です。
素晴らしい演奏期待しています。
「ダフクロ」は何回も聴いているけど、一番の違いはこの音の厚み。これ以上の演奏は聴いた事がないです。これで中学生ですからね。伝説ですね。
当時のコンクールの編成は45名まで、という時代の演奏ですので一層の苦労があったものと思われます。渡部氏「厚い音をうめるのには、もう10名くらいのメンバーがほしかった」(『昭和50年代 全日本吹奏楽コンクール名演集』ライナーノーツ)
全日本吹奏楽コンクール初演にして金賞1位。
コンクールでの演奏回数が全曲の中で1番多いのでもちろん名演奏も多くあるのですが、このパイオニア的名演の出雲一中と爆発的ブームを産むきっかけとなった86年の埼玉栄の演奏は日本の吹奏楽界を変えるきっかけとなった歴史的名演と言えると思います。
この演奏がなければ日本の吹奏楽に於けるダフニスとクロエの人気はなかったのかもしれません。
前例のない中この曲を取り上げた渡部修明先生とそれに取り組んだ生徒さんに敬意を称したいです。
中学生の頃、顧問が参考に聞かせてくれたのがこれだったと思います。
当時はカセットテープで音質もそれなりだっととは思いますが、
一発でこの美しく個性的な素晴らしい曲の虜になりました。今でも大好きです。
全日本吹奏楽コンクール全国初演
中学校の部、ハープなし、チェレスタなし
恐るべし...
寝る前に聴いてしまいましたが後悔しました。涙が溢れてきています。
課題曲との兼ね合いが難しくタイムオーバーすることが何度もあったそうですがカンティレーナを貫いたのは素晴らしいと思います
ファンタスティック!!とても中学生の演奏とは思えない・・・指揮者と部員に心から敬意を表したい。
4:45からの曲調切り替え上手すぎる……
今の高校生吹奏楽部でもこんな上手く行かない……
まさに不朽の名演。 日本のアマチュアバンド史上最高の演奏。
この演奏が、RUclipsで聴けるなんてほんといい時代ですよね。
今年も、一中頑張ってください!
今や吹奏楽コンクールではローマの祭りと並ぶ大人気曲ですよね。
この曲を初演したのが当時の中学生ということですから驚きです。
正しく後世に語り継がれる名演でしょう。
しばらくは著作権の関係で演奏されることは少なかったですが、埼玉栄の名演を引き金に爆発的ブームを呼びました。
当時は吹奏楽での演奏は禁止だったんだよね。
著作権についてあいまいな部分が多く、1980年代に入ってこの今日を自由曲にして全国代表を勝ち取った高校があったが、自由曲が著作権に触れる、ということで、棄権するか、全国出るなら自由曲を変更するように、との連絡が吹奏楽連盟からあり、辞退した、ということもあった。
1980年代前半までは、日本の吹奏楽界では、著作権がないがしろにされてた。ストラヴィンスキーの春の祭典も、吹奏楽での演奏禁止(日本では)なのが、コンクールで演奏したレコードも出てたし、当時は「火の鳥」や「ハーリヤーノシュ」などは、吹奏楽での商業録音(コンクールの演奏をレコードにして売る)というのも禁止だった。
ただ、フランスのギャルドの楽譜(デュポン編曲)をレンタルしての演奏は可能だったが、編成が大きい、サクソルン系の楽器も多いため、人数制限のあるコンクール出はいい音がしない。で、レンタルはしたものの、違う楽譜で演奏するのが普通だった。
木管に耳が行きがちな曲ですが中間部、金管が心地よく響きまきした。黎明期の名演として有名でしたが聞けると思いませんでした。アップしてくださった方、奏者さん、指揮の先生ありがとうございます。
凄い。ハープもチェレスタもない。音で勝負している。
まさしく同じ舞台で県大会のコンクールに出てました~45年以上前ですが、この演奏がはじまって10秒後には会場中が朝霧のなかから昇る朝日を見てたと思います。演奏後しばし拍手が出来ない位茫然としてた事、昨日のように覚えています。皆さんのコメント読んで改めて凄い演奏だったんだと確信致しました
同世代です。
私の住んでいるところでは,吹奏楽部は中学校に1校あるだけでした。私は当然吹奏楽なるものは知りませんでした。ダフニスとクロエは,埼玉栄高等学校の演奏が強烈に印象に残っているので,その10年前にすでにこんなレベルの高い演奏をしていたのですね。
この10年後,出雲市立第一中学校が中国支部大会で代表を逃し,広島県から宇品中学校が全国大会へ出場したのは,衝撃でしたね。その時,初めて中学校の支部大会の演奏を聴きました。
この年、中国大会が広島市であり生の演奏を聞きました。超絶技巧そのもので異次元の演奏だと感じたことを思い出しました。
この年は山王中学校が「スペイン狂詩曲」を演奏していたから吹奏楽でラヴェル演奏のはしりになった年と言えよう
出雲って土地は不思議なとこで声楽家の輩出率が異常 その影響なんでしょうかね?全国に吹奏楽の名門校数々あれど戦後の第二黎明期からずっと名門保ってるのは出雲一中位じゃないのかなあ?
最近また高校生の演奏と聴き比べてみました。
やはりこれに勝るものは出てきません。
中1の中国大会で生演奏を聴いた記憶がうっすらですが蘇ってきます。
同時に自分の先輩たちが涙を飲んだことも、翌年の普門館初出場に
繋がったということもどれもが事実だったと思うととても懐かしく
思います。
それにしても凄まじいの一言ですね。
もしかして総社東の卒業生ですか?!
@@ぽりぷろぴれん-t9f ハイ、そうです。プラハ世代です。
唯一聴きに行った全国大会でした
自分と同年代の演奏とは思えませんでした
終盤の聴衆の静かに聴いているのにざわめいている?
感が忘れられません
演奏終了後一瞬間が空いたような感覚のあとの怒号見たいな皆興奮しきった激しい拍手がいまだに耳に残ってます
金賞が三校しかなく豊島十中、秋田山王中も金賞でしたが、後にレコード買うまで記憶に残ってないぐらい出雲一中の演奏がすごかったです
後に多くの団体が「ダフニス」を演奏することになる「とば口」となる演奏である。中学生からすれば、猛練習の結果が出ていると思うが、課題曲とのマッチングもポイントとなろう。安易に「即興曲」や「協奏的序曲」を選ばず、「カンティレーナ」で勝負したのが吉とでた印象がする。「メインストリートで」はここの学校のカラーではありませんしね(その証拠に74年は「高度~」ではなく、「シンフォニア」、75年は「未来への展開」ではなく、「小前奏曲」を選んでいた)。
凄すぎるただこの一言しか言えん
最近の全国で演奏されるものも、それなりに良いねんけど 何ちゅうか甲子園と一緒 プロの真似なんかより一生懸命きちんとやる姿が この演奏に出てんねんな。それがいい。
鳥肌がたった。この演奏を聴けて良かったです。アップしてくれた方ありがとうございました。
言わずと知れた歴史的名演ですが、こうして改めて聴くとユーフォが何気に良い仕事をしているのと編曲が鬼畜なのがわかりますね(笑)
この時代の出雲一中のユーフォは皆、凄いんですよね
他の年の演奏も聴いて頂けたらと思いますよ
大げさではなく、奇跡的な名演と言えるのではないでしょうか。
この頃は45人までの編成で、使用楽器も今では小学生でも使用しないレベルの楽器だったと想像できます。
この当時の他の団体を聴いてみても、大学・職場・一般部門の金賞団体ですら、
ピッチが甘かったり、技術的に荒削りであったりと、今の時代に置き換えたときには地区予選も突破できる
レベルではありませんでしたから、この演奏は理解を超えてますね。
yuji. o 他の演奏と聞き比べて一番の違いは、やはり、丁寧さ、一音一音に込める情念のような気がします。
コンクールの賞取りではなくて、指導者の良い音楽を創ろうという想いに子供たちが必死でついて行っていた時代の賜物だと思います。
それにしても凄まじい練習だったんだろうって想像を超えています。
素晴らし演奏です。この会場は神奈川県民ホールですか?
やなやな そうですね。当時はまだ全国大会の使用ホールが普門館に決まってなかったので、この年は神奈川県民ホールに決まった年なのだと思います。
それにしても、県民ホールで全国が行われていたとは...(横浜の吹奏楽部所属なので、地区大会で神奈川県民ホールを使います)
今や数多あるダフニスとクロエの上手な演奏がある中、元祖であるこの演奏が特に名演だと思うのはピッコロの力じゃないかなと思ったりします。他の演奏でこれほど小気味良く要所要所でピッピピッピと締めてくれる演奏ってあります??。最後の音までが決まっている!。
ピッコロの方は、アンコン全国常連の、「アンサンブル・アットホーム」で今、トップを吹いていらっしゃり、90年代後半に全国大会で名演を多数刻んだ団体の顧問の奥様です。自身も顧問として管楽の全日本を経験されています。今は松江市の中学校の顧問をされていますね。ちなみに実兄?様は日本を代表する声楽家でもいらっしゃいます。
夜明けのソロもズバ抜けていますよね、こんなに情緒的なソロは他にありません。
自分が全国に出て客席から聴きましたが、ピッコロだけで無くフルートもとても良く聴こえ震えました❣️
ハモデレもチューナーも無いこの時代にこれだけやれるのは昔の人達がいかに凄かったか、、、尊敬しちゃいます🙏
楽譜も手書き写しだったのでは⁉️
手書き楽譜でした。
@@celijoao こんにちは。石井弘一の息子 次男の奏成です。生前は父が大変お世話になりました。この演奏も父によく聴かせてもらいました。本日は父の命日。家でゆっくり聴かせてもらいます。
@@りーかな-c7w 今日は。
1年は早いですね。
幸せなことにいまだにこの演奏がコンクールの歴史上最高の名演と言ってくださる専門家の方がいらっしゃいます。
特にあなたのお父さんのプレイは空前絶後のすばらしいものです。
時々思い出して聴いてあげてください。
お母さんによろしくお伝えください。
渡部修明先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
俺はトロンボーンだが
この演奏には心からチューバの2人に敬意を表する
低音なくしてこの仕上がり無しm(_ _)m
40年も昔‥‥40年前の楽器で‥凄い(◎_◎;)
ティンパニが古いタイプですね(チューニングを手絞めで行うやつ)
神奈川県民ホールが全国で使われている…!2025年3月末で休館になってしまうので残念です
広島での中国大会で
拝聴しました。
母校も同大会出場
でしたが、先生が
レベル違いすぎる
との後日談を
聞きました。
おばさんが高校生の頃、ブラスバンドに入っていて、中国大会が広島であったから山口県に住んでたおばさん見に行きましたよ。
その頃のだったから見つけれてよかった。
おそらく練習量も内容も今とは桁違いだったんだろうなと想像にかたくない。
30年前この時代に学生だった顧問の指導を思い出すとそういうことなんだろうなと。時代とともにゆるくなり、私は小学生でしたが、やり過ぎだ!という保護者の声でどんどん練習量が減り、先生も寂しそうで私達もつまらなかったなぁ。。と昔を思い出してしまいました😅こんなサウンドの中に入れたら幸せだろうなぁ。。
巧すぎてタイホされるレベル。
全世界的にも、中学生の年頃で、
こんなレベルの演奏、出来るところ
多分ない…いや確実にない。
他の方もコメントされていますが ユーホニュームの音にドキッとさせられるところがありますね
確か編曲したのは後に指揮者となる錦織先生でしたか。
聴け!悔しいが。
県大会の演奏を聴きました。全員の踊りに入る前のカットが全国大会と違っていたような・・・。
すごいな。この翌年から普門館だな。
ご冥福をお祈り申し上げます。
渡部先生...
ウマ過ぎるんだでば!
この頃、中学生でこの演奏ができるというのは、本当に片寄先生の指導の素晴らしさなのですね。
今聴いても全く色褪せない演奏です!
片寄先生ではなく、渡部先生の時代のようです(概要欄に書いてあります)
みんないいコメントばっかしてるけど
そんなに上手いか?w
うまいですよ。